永六輔さんがパーソナリティを務めるTBS系ラジオ番組「誰かとどこかへ」が、9月で打ち切られることが、8月29日の放送で明かされました。
番組の軌跡と打切の理由は?
番組は1967年1月からはじまり、1969年までは「どこか遠くへ」という番組名でした。その後現在の「誰かとどこかへ」に変更され現在に至ります。46年もの長い間にわたり、続いてきたまさしく長寿番組で、放送は月~金曜日の10分間、永さんとアシスタントの遠藤泰子さんが視聴者からの便りを紹介したり、思いを語ったりします。
当初はアシスタントが佐藤ユキさんで、番組スポンサーは呉羽化学工業(現在のクレハ)でしたが、時の流れとともに、アシスタントは遠藤さんに、番組スポンサーも桃屋に変わりました。放送回数は、9月27日で、1万2629回になります。
番組打切りの理由については、桃屋がスポンサー降板の意向を示したためと言われております。(桃屋の提供のあり、なしで番組内容が若干異なるそうです。是非聞き比べてみてください^^)
ラジオ長寿番組にはどんなものがある?
その他のラジオ長寿番組を調べてみました。
・株式市況(NHKラジオ第2):1925.3ス~ 88年目
・ラジオ体操(NHKラジオ第1):1928.11~ 85年目
・のど自慢(NHKラジオ第1):1946.1~ 67年目
・こども音楽コンクール(TBSラジオ制作):1953~ 60年目
・毒蝮三太夫のミュージックプレゼント(TBSラジオ制作):1969~ 44年目
・オールナイトニッポン(文化放送):1967.10~ 46年目
・JET STREAM(TOKYO FM):1967.7~ 46年目
こうして見ると、最も馴染みが深いのはラジオ体操でしょうか。
NHKに長寿番組が多いのは、リニューアルをあまりしない保守的な姿勢の現れかもしれませんね。
永六輔さんの現在 パーキンソン病の症状は?
永六輔(本名:永孝雄) タレント・随筆家・ラジオパーソナリティ
1933年4月10日生まれ AB型
テレビ:視点論点
ラジオ:誰かとどこかで/子供電話相談質
著書:大往生/職人/芸人/商人 他
【調べてわかったこと】
・1950年代から作詞家としても活動を始め、「黒い花びら」など数々のヒット曲を生むも、1960年代後半には作詞活動から退いた。理由のひとつに「テレビに出れば何でも流行するのか」と怖くなったからというエピソードがある。
・テレビには「徹子の部屋」など、限られた番組にしか出演しない。顔にドーランを塗るのが嫌だという理由も。。
・2010年にパーキンソン病の診断が下された事を公表。現在はその影響により歩行が困難で、車椅子で生活している。転倒により骨折すること数回。それでも仕事は極力休まないようにし、病院からラジオにゲスト参加したこともある。
永さんは、2009年に、「ろれつが回らないと言われるようになったのは入れ歯のせい」としていましたが、この頃から既にパーキンソン病の症状が出始めていたのですね。。
難しい病気ですが、これからも元気な姿と永六輔節を聞かせてほしいです
2016年7月7日 83歳にて永眠
日経速報で訃報を知りました。
記事によると、亡くなったのは七夕の7月7日だったそうです。
パーキンソン病であると言われていましたが、直接の死因は今の所公表されていません。
ご冥福をお祈り申し上げます。